本音が透ける

ここ1年で、あなたの上司から、

「しっかりやれ」
とか
「頑張れ」「最後までやり切れ」
といった言葉を聞いた人は多いと思う。

所で上司からの次の言葉、もしくはそれに準じた言葉を最後に聞いたのはいつだろう?
「最後は俺が責任を取るから」

要するに、本来責任を全うする役目にいるはずの上司が責任を取る覚悟をきちんと見せてくれていない。言葉にしてくれないから、その下にいる物は、
(やれって言うからやるけど、でもやっぱりできないかもしれないよ?その時には本当に責任を取ってくれるの?俺におっかぶせるんじゃないの?)
という疑心暗鬼、不安感が襲っていないだろうか?
もしかすると本当に過去にそういう経験をしたからこそ、もう信じられなくなってきている、そんな状況になっていないだろうか?

 

上司たる役目の人は
「いやいや、そんなことはない、俺が責任をとるよ、必ず!」
というなら、一度それを言葉にして、部下やメンバーと共有してみてはどうだろう?今一度してみる意義はないだろうか?

 

言葉にできていないなら、共有できている保証はどこにあるのか?
メンバーが自分を信頼していると信じる根拠はどこにあるのか?
メンバーに変われ変われというのなら、一度リーダーサイドも変わるべきところはないのか、今一度共有しておくべき、表明しておくべき内容はないのか。

部下は、メンバーは、それぞれの視点から、いろいろと透けて見えているんじゃないだろうか?

そうして何かを誰かに押し付けあっていたところで、解決したところはあまり見たことがない。たいていは、エイヤッと誰かが引き受けるか、そんなつもりもなくガムシャラに突っ込んだところで解決したか。