デフレが壊したもの

失われた20年とか、価格破壊とか、いろんなことが言われたこの20年。一般社員の給料は全然増えない(けれど、会社幹部の給与はぐーんと増えたり)。

 

会社員の立場からするなら、インフレ下なら「新しい事を考えろ!さー、ほらっ!」って感じで追い立てられ、デフレ下なら「効率を上げろ!さー、ほらっ!」って感じで追い立てられ。どっちも変わりなし。
消費者的立場からは、あぁ、もっといいのが安く出るかも…今必要ないから止めておこう、とか。もっと安いものがあるはずで、と価格“だけ”を指標にモノを判断したり。

 

以前もそうだったかもしれないけれど、モノを買う時には、そこにどんな価値があるのかを見ていたんじゃないだろうか?たとえば新しい機能が入っているとか、新しい効能があるとか、買う方はそういう価値をしっかり見据えて購入基準にしてきた。

でも特にデフレ下では、「あれっ、以前より安くなった。ならいいんじゃないこれで?」とか、「うわぁこんなに安いんだ、買っとこう!」とか。他にも判断基準はあるにせよ、その安さにあてられて、それだけでOKということ、なかっただろうか。
要はそこに本当の価値を見る目を養ってこなかったり、自分に必要な価値を考えることを放棄して来たりしなかっただろうか?

 

価値を作るのではなく、価値を捨てる側に力が入ったり、作りこむのではなく、手を抜くことに力が入ったり。
本当の価値観、意味ある価値を作る事を忘れてしまった期間が長引くと、そもそもどうやったら価値を作れるのかを忘れたりしないだろうか?何が価値なのか、どうすればより良い物が生み出せるのか。

良いものをたくさん見ることによって、良いものを知る、という教育方法がある。たくさんの「本物」と呼ばれるものを見、聴き、味わってきたからこそ、それらに負けずとも劣らない何かを創り出せる力。
でもこの20年で、みんなはそういうものを見るのではなく、より安い物、より何かを削ったものばかりを見続けてきた。みんなで安上がりのモノを見るという目を養ってきた。

数年ではない。数十年にわたって“つちかった”このやりかたは、何らかの形で人々の間に染み込んでいたりはしないだろうか。