1次元の人

モノを論理的に考える典型例として、BはCになるでしょ、AはBになるでしょ、だからAはCになるでしょ…的な論法を展開することがある。

そして、今目の前の事象はA'に見えているのでほぼA。だからいずれCに持っていけるなんて言う説明をもって、その場を引っ張っていこうとする。
分かりやすいし、その論理展開が賛同を受けることができれば人はその流れに乗りやすい。

ただし、その線上に乗っかった先に、欲しい状況が存在すればいいけれど、その線上をどこまで先に行ったところでよい状況、よい回答が存在しない場合もある。
「先にいけないわけではない」ので行き止まりではないのだけれど、行きたい先ではないのだから、その先に行ったところで意味はない。


最近必要なのは、その線の先にはないこと、をいかに想像し、いかにみんなを納得させるかというところにある場合が少なくない。その線上にはないのだから、裏付け手法のいくつかが封印されているに等しく、その「思考のジャンプ」に他人を乗っけることがいかに難しいか、大変なのかを思い知る。


しかし少し見方を変えて考えると、それはそもそも1次元で考えていたから/1次元で見ていたからそうなるだけであって、複数次元でとらえていれば、実はその先も当然今の先につながっている事。要するに、視点としての複数次元で捉えていれば、そのいくつかはつながった先にたどり着くのは当然。
要するに、それは「その人」が見向きもしなかった項目においてつながっている先に置いて進化しただけであり、「その人」にとってみるとつながっていないように見えていたに過ぎない先。要はあなたの価値観の重みづけで軽んじられていたポイントこそが、その先につながる重要なポイントになっている/いたという事実。

 

1次元の人は、それこそが重要!と捉えていることが多いけれど、少し視点を周りに配るだけで、それまでになかったものが見えてくる。
直線を飛び越えた先…とか簡単に言うけど、その先においても、同じく単純思考で1つだけの価値に縛られてちゃ、すぐに行き詰りませんかね。