決定者と遂行者

組織というのは、それが大きくなればなるほど、決める人とやる人が離れていることが少なくない。

それを決めた人が、どのような経緯でそれを決めたのかがきちんと現場に伝わっていないと、どうしてそう決めたのか!とかなぜこの決定になったのかが分からず不服だ!といった反発が起きることもたびたび。だからと言って、それを丁寧に説明しようとすると、そもそも現場と上層部との情報非対称性によって判断された決定などにおいては、それを埋めるような丁寧な時間が配分されることはまず持ってなかったり。

組織統制が取れている組織においては、それはある意味で「うまく」働くけれど、それが真の効率的解、正解に近い物かどうかは別問題だろう。

組織統制が取れていないところにおいては、上が決めたからと言って「現場の事を知らないもんが決める事には、承服できかねる」なんて言ってそもそも齟齬が拡大し、グダグダになる可能性もある。ごくまれに、現場における統率のみは取れていたりすると、その現場判断が正しく、結果としてうまくいく、まぁある意味の下剋上に近い結果が生まれたりするものだが。


組織統制が取れていると言うのは、少し極論すると、「私、決める人、あなた、やる人」ってこと。考えるのは決める人が考えればいい。後は言われたとおりにやるだけだ。
考えなくていいというのは、普通はとても楽だ。何も考えずに言われたとおりにするだけ。だって上がそう言ったんだもの。その通りにやるだけだ。

 

しかし普通の人は、その「やる現場」で、少しは考える。考えようとしてではなく、普通はなんらか考えてしまう。だから反発があったり、疑問が生じたりする。

でもたぶん、それじゃぁ足りない。反発があったり、疑問が生じたりしたときには、より深くなぜ?と考える、もう一歩踏み込んで考える。それができない組織は微調整が効かない。
上は、そんな深く考える現場を嫌ったりするところもある。強権発動でそういうことを押しとどめようとする。しかしそれすら打ち破るほどに深く考える事ができる現場がいる組織は、多分とっても強い。

組織を変えるのは考える現場から。