考えると言う武器

恐ろしいのは、考えると言う事を奪われること。

自分で考えなくなったら、誰かの考えに乗るしかなくなる。
たとえそれがあなたの事を考えている事であったとしても/なかったとしても、それしか選択肢がなくなる。

 

あなたの事を考えてくれる人を選べばいい、などと言う人もいるけれど、そもそもそれはもう、自分で「考えて」人を選択している。少しレベルは低いかもしれないけれど、考えることが実行されているレベル。

 

自分で自分の事を考えることはとても大変だし、実力も必要になる。「自分で考える」ということを考えること自体、とても大変なのは想像に難くない。

しかしそれができるようになれば、いや、それがどんな価値を持っているかを理解できるようになれば、そもそも、自分で考えない事がいかに恐ろしい事か、大きなチャンスや価値を放棄しているかが分かる。もちろん、大きなチャンスや価値は、大きなリスクであるがゆえに生み出されるものでもある。

 

これも考える、あれも考えると「考える」と、それは大変であるんだけれど、そもそも「考えている」と意識することなく考えていければ、それはもう習慣に。

最初から「習慣」にはならない。習慣にする意識をもってこそ。