平等資本

国や組織や様々な団体は、人々で動いている。それらがえこひいきで人を配置したり、コネで人を取ったりすることもあるだろうけれど、基本は平等に、そして能力のある者を、という形で割り振ろうと努力していたりする。

けれど、お金持ちのところに生まれた者と、そうでないところに生まれた者とでは、明らかに平等性が欠けている。いや、日本においては、目に見えるほどの格差はこれまでなかったかもしれないけれど、昨今は明らかな格差が目につくこともある。

 

唯一平等なのは、与えられた時間だ。「時間」でしかない。
しかしこれすらも金をもっている者は、その金によって、時間当たりの効率を非常に高めた教養や情報を得ることができる。金を持っていない者は、持っていないなりの効率でしか得ることができない。

ただし、金をもっている者がそうした優位性に全員が気づいていないところがポイントだろう。さらにだんだんと成長し、役割を担うようになると、「自分事」以外のために使わなければならない時間がどんどんと増えていく。


「時間」の唯一の平等性に気付いた瞬間に、それをどのように使うのか、どのように消費するのかを突き付けられる。何のために時間を使うのか、誰のために時間を使うのか。
もちろん、デカい事をやりたい人もいれば、自分のささやかな夢をかなえたいと考える人もいる。そもそも、そういう目標すら持たない人もいて、日々の「力」がベクトルとして一致せずに生活している人がほとんど。

時にこのベクトルが一致すると、たとえば政治的力であったり、国家としての力であったりすると、世界が動いたりする。人の思いがベクトルとして一致すると、文字通り大きなものになる。
もちろん、誰もが大きな力を必要としない。だが、どうやって集めるかは知っておいて損はない。時間と言う唯一の平等資本を、いかに効率的に使うのか?これを意識しているかいないか?

別に、引きこもっていてもいい。仕事にまい進してもいい。後悔さえしないのであれば。