お祭り

以前なら、地方地方に小さなお祭りがあり、その時を目指してその地方の若者たちが「ここ一番!」と張り切ることもあった。子供は子供で、鎮守の森、神社の境内などを利用した露店にワクワクし、友達と連れ立って夜に出歩く事が許されるのが楽しみだったりもした。

 

しかし、一部の大きな祭りを除いて、そもそもそうした祭りを維持することが難しくなりはじめる。観光客を呼べるほどの、どんたく、ネプタなどなどは良いけれど、それ以外の地域の自治体で行われる小さな祭りは、近代化?隣近所とあまり付き合うことが亡くなりつつある現代社会では、すたれ始めていった。

もちろん、そんなことはない!とおっしゃる自治体があるのも知っている。細々とでもちゃんと地域の盛り上げを企画、運営していらっしゃる地域はある。でも相対的には、やっぱり…。

 

数は減ってきているだろうと想像する。じゃぁみんなやりたくないのか?というと、そうでもない。何か盛り上がりたい、発散したい、そう考えている人はきっといる。たとえば一部のコンサートなどはその代替になっているような気がする。みんなである音楽に熱狂する。踊る。まさに昔の祭りや盆踊りと通じるものがある。

 

…と言うところで、先日、皆が嬉々として集まってくる光景を見た。

思い思いにコスチュームを着、人によっては仮装して、目立つように風船を持っていた人までいた。それらを見てまさにこう思ったのだ。

あぁ、祭りなんだ、と。

 

東京マラソン、あれはたぶん、東京を中心とした地域で働く人たち、その周辺に住んでいらっしゃる人たちが集まる一大イベント、祭り、になっている。昔の自治会、地域の神社を借りてというものよりも格段に場所が広いが、それだけ集める対象者の居住地も広いのだからしかたがない。

 

一部の「マラソン競技」としては知っていらっしゃる方を除き、大半は走りながらニコニコ、途中でふるまわれる飲み物や食べ物に興じ、楽しみながら、励まし、励まされながら走り切る。

普段生活や仕事をしていて、あんなに励まされることはないだろう。ガンバッテと周りから声が飛ぶ。別段記録を意識していない人にも声がかけられる。とあるランナーがネットで中継しているのを見て、仮想的に声を掛けられている気分を味わったことがあるけれど、あれは気持ちいいもんだ。実際に走っていたらヒトシオじゃないかと思う。

 

だからだろう、「走る」ということを通じたいろんな走りがあちこちで企画されたり催されたりしている。熱狂的に盛り上がる、そんな仕掛けが必要なんだよ。だから日本で、世界で「お祭り」は消えない。「装置」として人が営む上で必要なイベントなんだろう。