群盲

東京マラソンの日、たまたま新宿方面に出る用事があった。いつもならこんなイベントの際には引きこもるのだけれど。

 

と、不思議な光景を見た。いわゆるファーストフード店。こんなイベントの日は掻き入れ時…と思いきや、お休みをしていたのだ。ふつう、そんなお店の店長なら、さーてといろいろ準備したりするだろう。デカいイベントの際に、その近くのコンビニがおにぎりを大量入荷する、なんてのも聞く話。

しかしその店は閉じていた。臨時休業していたのだ。もちろん、そんなことは特には報じられない、ニュースにすらならない。

 

と、ここで一つの事に思い当たった。そもそもテレビ「のみ」を信じている人々は、実は「群盲、象を撫でる」という状況に陥っているのではないかと。

 

別にこれに限ったことがない。普通のニュースであったとしても、テレビ映像で見るといかにもなシーンばかりが取り上げられる。しかし実際には、そうして映像化されている場面は実に特殊な一場面であり、他は何でもないと言うのはよくある事。よく成人式で若者が暴れる…なんていうのはごくごく一部の者であり、たぶん99.9%以上のその他の人々にとっては、全く関係のない事。

テレビでは、カメラによって画角が決められる。たとえそのカメラの後ろ側、画面のすぐ横で何が起こっていようと、カメラに写らなければ、それは視聴者には届かない。そんな「一部」、それも「放送局の意図した一部」をもってして、その画面を理解したつもりになっていたりもする。

 

うつっていないものが何か、いま「無い」ものを想像するのは難しい。けれど、それが「何か」に注意を払っていなければ、正しい「象」の姿は見えてこない。僕らはある意味での「群盲」だということを意識できているかどうか。