録画の意味

もう10年近く前になるだろうか、コクーンというハードディスクレコーダーが発売された。今でこそ、ハードディスクに録画することが当たり前になりつつあるけれど、当時はまだ珍しかった。当時は「DVD」に録画する事が、「VHS」からの転換として見られており、「カセット」が「お皿」になった時代。でもコクーンはDVDすら無視して、ハードディスクしかなかった。当時のコンシューマーの先を行っていた。

「そもそもDVDに焼いて、あとで見ますか?でないなら…」

という事を問うた商品。

 

当時、あまり売れ行きは芳しくなかったみたいだ。 

しかし、そこから時間を経て、今、「録画機」を使って、「お皿」に残して/焼いて見ている人は、さてどのくらいいる事か?

 

それにともなって起きていることは、ハードディスクがいっぱいになるまで、とりあえず貯まっていく…と言う事実。見ないのだ。それくらいいろいろ溜め込んだり、逆に見るものを事前に選別することを行わない。要は、判断を先送りすることを許容させる機器として成立し、結果、録画したけどやっぱり見ないなんてことを繰り返してはいないだろうか?

 

もちろんそれでいいこともある。自分では見ていなかったけれど世間的に話題になり…、あぁそういえばその番組、録画してるんじゃ?と自宅の機器内を探して、後追いで見る、なんてことが可能になっている。

が、これは、自分で判断したんじゃない、世間の判断を頼りにしている事。その他を見てみれば、録画したけれどもう時間がないから見ないというのは、世間でも話題になっていないし見ない、ということになっていないだろうか?

 

結果、判断を先延ばしし、そしてそもそもその判断自体を世間にゆだねる、自分で判断しない。違う言い方をすれば、リスクを自分でとらず、できるだけ他人の判断を経由したうえで実行しようという行動形態をとっているのではないかと。

 

そしてそもそも、多くの映像はその後パッケージ化されていたりする。

もちろん、そうならないことが分かっていて、そういうものを集めている人も存じ上げていますよ。