面白いことが増えすぎて

ネット社会などと言うのは、高々15年から20年程度しか経っていない。にもかかわらず、この20年での技術的進展、アイデアとしての発展は目覚ましいのも事実。

自分が二十歳の時に、自分が生まれたころの技術なんてのは全くたいしたことない、場合によってはずっと古い時代を感じていたこともあったけれど、もの心ついてからの20年、それも自意識が目覚めた10歳ころからの20年と言うのは、自分では変わっていないようでいて技術的には雲泥の差があったりする。

 

そもそも、20年前、さまざまなサービスが無料で提供されるなどと言うのは常識では考えられなかったはずだ。それが今では、ネット経由で無料で映画が見られたり、無料でテキストが読めたり、無料でテレビ電話ができたり…と、無料が当たり前に。

であるがゆえに、ビジネスモデルが大きく変化し、ありとあらゆるものは無料ビジネスモデルで動き出す。
そう、無料。

 

昔なら、「地上波テレビ放送」くらいしか、無料はなかったはずなのに、携帯ゲームが、面白い映像コンテンツが、無料で手に入るのが当たり前。もちろん違法なものを除いてさえも、だ。

当然ながら、真の無料ではないこともわかっている。誰かがどこかで費用を負担したり、薄く広く料金を徴収している事実もある、が、一見無料に見えるところが恐ろしいところ。
さらに恐ろしいことに、皆の興味があるもの/事ほど、どんどん無料になるスピードが上がっている。昔なら、人気映画がテレビで放送されるには2年くらい経っていたのに、最近だと半年くらいでテレビにかかるものが出てくるほどに。

 

そうして、面白いことが増えていく、無料のものが増えていく。
すぐには分からない形で、すぐには理解できない形でお金が徴収されていく。それはもしかして、理解していない者、分かっていない者に何か影響は出ていないのだろうか?今は数値化できていない何かが搾取されていたりしないだろうか?
こんな形での、自己責任が進んでいる気がして。
認識されていないことが何かわからない事ほど、恐ろしいのではないのかと。