あなたの見ている/聴いているもの

アナログ時代の頃には、一部オーディオマニアの間で、機器の品質はもとより、機器間をつなぐケーブルの品質がこだわることがあったり、こだわっている人がいた。
より良いケーブル、高価高品質なケーブルでつなぐことで、音質が向上するという。
1m1000円のケーブルではなく、それこそ、何千円、場合によっては一ケタ高い値段のケーブル。マニアでない人には全くわけのわからない世界。
でも、それに変えることによって、明らかに音が変わると言う。音の抜けが良かったり、クリアー度が増すのだと言う。幸か不幸か、わたしにはそんな良い耳を持ち合わせていないのだが。
 
しかし考えてみると。

そもそも、同じ絵画を見たとしても、あなたの目に届いている絵から目までの光の経路、空気の経路と、私へのそれは、違う。絶対に同じにはなりえない。

さらにさらに、あなたの目から脳への神経経路、あなたの鼓膜から脳への神経経路と、私のそれも、当然違う。
一つとして同じ経路の信号を同時に感知することは不可能なんだ。
 
「君の見ている緑色は、僕の見ている緑色と同じなんだろうか?」
ある言葉の定義の範囲においては同じでも、その信号は、認知のされ方は、神経系を通る信号に乗っているノイズの乗りかたは、一つとして同じものはない。
 
とするならば、すべてが違う。
すべてがある理解の幅をもった上での情報のやり取りで成り立っている。
 
すべてが違う、ここに立脚したスタートと、同じだよとするスタートでは、到達できる何かが違うんじゃないだろうか?
違うんだよ、所詮。だからこそ、わかりあうために努力が必要なんだと。