無意識を意識

あなたは「無意識」を意識したことがあるだろうか?

そんな論理矛盾を生じるほど、考えていない事が、たぶん無意識。

 

脳科学的にどのくらい解明しているのかは知らないけれど、たぶん何度も考えた同じ脳内信号の通り道ができることで、わざわざそこに信号を通そうかどうかを検討する必要もなく、信号が流れるようになる。また、それが肉体においては、そうすることで体が自然にそう動くことになる、それが無意識の考え方であり、無意識での行動なんじゃないだろうか。

 

これはこれで「人間において」は価値がある。それは、考えずに/意識せずに、動くことができることで、思考のエネルギーを大幅にセーブできる事だろう(考えるってエネルギーがいるのだ)。またそれによって同時に、対応速度が劇的に早くなる。逆になっていることを想像すればわかる。すべてを考えなければ動けな、意識しなければ動けないと言うことであるならば、意識して考えて決断して動きを決め動く…だけ反応は遅くなる、常に考え続ける…で脳は疲労困憊するのではないだろうか。たぶんそれでは「人」という動物は生き伸びていけなかっただろう。

 

ただ、そうして進化してきた「人」が、「人に限りなく似た何か」を作ろうとすると、無意識は課題になるのではないか?自分が考えていないモノ…を考える。って、矛盾してませんか?すでに「AI」の研究が進み、ディープラーニングという手法が発展したことで、限られた領域においては、人を超える存在になるほどの能力を見せている。だが、その進化した「AI」が、なぜその判断をするのか、その行動に出るのか、その手を打つのかが、わかっていないところがあるという。ある意味(正確性は欠くけれど)無意識が作り出されてはいないか?

 

囲碁にせよ、将棋にせよ、古くはチェスにおいてさえ、それぞれのゲームにおいて、人類最強クラスのプロに勝利してきた「AI」。だが、その「AI」のそれぞれの局面すべてが、今の人間には理解できていない。「AI」が、人類の理解、ある意味で意識領域を超え始めているという事。

 

これはやっぱり「AI」における人間の無意識領域だったりしないのだろうか?いや、実は無意識という意識できていない事の研究の突端になっていたりしないのだろうか?

「分からないことがある」という事は、それ自体が研究対象となりえるという事。

そう考えれば、まだまだ「AI」に限らず、人が追及すべき課題は多い。無意識ってなんだ。意識したら無意識がなくなる?

そんなことを「ワクワクする」と思えるか、「むつかしい事はわからん」と忌避するか。