自動運転の世界

日本においては、技術はもちろん、それ以上に法整備が全く追いついていない「自動運転の世界」だけれど。私はいち早く自動運転が実現してほしい派の一人だ。

 

すくなくとも今の日本の首都圏において、人口流入の方がずっと多く、一極集中が進み続けているのは事実。であるから、まぁすくなくともあと20年30年は、よほどリモート勤務が認められる世界にならない限り、このままの状況では電車の通勤ラッシュはまずなくならないだろう。だが、これも「自動運転車」の普及が進めば、それなりに状況が変わるのでは?

まず第一に、多くの人が自動運転で通勤する世の中となれば、通勤電車以上の「パーソナルスペース」を確保しながら移動ができる。そしてその移動時間は、運転に注力する必要がない。であれば、その中で着替えてもいいし、食事してもいい、朝の準備をしてもいいわけだ。

…となると、自動運転通勤の車が爆発的に増える…という可能性は出てくる。さらに、人が運転するよりも制御されている運転は、交通渋滞の推測が立てやすくはならないだろうか?ある意味、渋滞シミュレーションと同じことが実道路の上で起きるわけだから、非常に精度よく到着時間が推測できることにはなるだろう。むしろそんな中で「人が運転する車がいること」自体が、忌み嫌われる要因となりそうだ。となれば通勤時間も読みやすく。

だがこうなると、「会社に大きな駐車場が必要になるのでは?都内にそんなスペースはあるの?」という心配も。だが、それは都内に必要だろうか?何せ自動運転なのだから、送り届けた後は、自動的に少し離れた駐車スペースに入るか、ご帰宅願えればいいのではないか?

物理的に、乗降の場所が混むことは考えられる。これにはそうした乗車、降車の効率よいスペース作りは必要になるかもしれない。言ってみれば個人通勤のための、「新宿バスタ」のようなものになるのかも。

 

さらに個人的に期待するのは、旅行だ。昨今の旅行で、交通運賃、列車や飛行機運賃が非常に高くつくのは皆さんご存知だろう。それを嫌って「自家用車」での移動をする方はいらっしゃるわけだが、とはいえ現状はまだ、「誰かは運転しなければならない」。それが自動運転では、その運転の苦労がなくなるという事。家族みんな、同行者全員が、楽しみながら移動できることになり、気がつくと目的地。

…と考えると、「キャンピングカー」タイプの自動運転車がもしできれば?自宅で荷物を積み込んで、行く先をセットすると、玄関で乗り込んで、後は歓談して、お茶を飲んで、ゲームを楽しんで、映画を見ている、本を読んでいるうちに、数時間後には目的地の数十メートル手前に到着できる事に。これは夢のような世界ではないだろうか?ある意味、ドラえもんの「どこでもドア」といってもいいかもしれない。時間は超越できないけれど、空間は、確実に自動運転車が連れて行ってくれる。

 

こうなる世界が来るのなら、「自動運転車」には、速度よりも、むしろ安全性重視でもよいのではないかとすら考える。少し速度を落とすことで、安全重視の自動運転車が、人間が運転する車と共存する世界。

もちろん、「走り」を楽しみたい人もまだまだいらっしゃることだろう。しっかりと楽しんでもらいたい。最近のアンケートでは「自動運転に期待しない」と言う人が70%なんて数字も出たけれど、そもそも「母集団が小さすぎたり、均質化されたものになっているか」と言うところはしっかりと確認しておきたい。サイレントマジョリティーが多い国なのだからね。「運転以外の、移動手段」として楽しむために、そうした自動運転車が存在しえるのなら、それこそ、町から町へ、毎日移動して、旅をするのだって、列車とは違う楽しみ方ができそうで、運転を楽しみたい人はマニュアル車で、そう出ない移動手段として使いたい人は自動運転で、と、住み分ければいいだけのはず。

私はとてもとても、実現されることを期待している。