「ないこと」はなにか

今やっていないことはなにか、今できていないことは何かを知っているだろうか?

いや、知っていなくてもいい、それを「知る必要がある」ということが分かっているだろうか?

 

それを知らなければ、今努力している事は、実はすでに誰かが解法を持っているかもしれないこと。なので今努力をしたとしても、それは「車輪の再発明」にしかなっていない可能性が、十分にある。
 
子供のころなら誰かがすでにやったことの後追いでも、それができた「満足感」をもとに、その先に進んでいくのもいいだろう。しかし、大学生以上においては、それは実は大きな失敗になりかねない。その活動には意味がほとんどなくなるからだ。
 
仕事においてもそうだ。すでに製品化されている物を、全く同じように作っても価値は生まない。他のものより安いのか?小さいのか?大きいのか?他の機能があるのか?何らかのその他の価値があってはじめて、それは成り立つ。
それはモノに限らずサービスにおいてももちろん。
 
だから、自分たちにないことに気付かなければならない。自分たちができていないことを自覚しなければならない。満足してしまったらそこで終わるのだ。ないことがなにか出てくるから、その時に人は、それを求めて他へ流れていくのだ。
 
でも、「ないこと」を探すのは難しい。単なるモノや事象のみならず、「今意識できていないことを、意識できるようにする」と言う事なのだから。