私には見えていないものがある

幸いなことに、職にありつけており、それなりの月給をいただくことができている。決して億万長者ではないけれど、そこそこに安心できる生活は送ることが可能な額。

 

…であるがゆえに、たぶん私には見えていないものがまず間違いなくある。

生活のお金がうんと足りない人、お腹が常に減っている人、食べ物に困っている人、住む場所が安定しない人などなど、自分の環境と隔たりがある人々は、なかなか日々の生活の中では想像しがたい。

 

たぶん、日々の会話の内容も変わってくるだろう。お金が足りない人はお金の、食べ物に困っている人は食べ物の話題が上らざるを得ない。そうなると日々話をするそれぞれの人々の間において、話題が共通する部分がある人は、それなりに何かの「レベル」が合う人に選別されてこざるを得ないだろう。このこと自体がますます、自分以外のレベルを見えにくくする。

 

同じ意味合いで、私には、私よりうんとお金持ちの人たちの「rレベル」が見えていないのだろう。別に無理をして絶対に見たいとも思わないのだが。

 

メディアが発達したことで、テレビやラジオ、新聞雑誌でそうした状況を知ることができるようになった反面、ネットが普及して「見たいメディア/ニュースだけを選択できる」ようになった。このことで、逆に見たくないニュース、自分のクラスに必要ないニュースを見えなくしている現実もある。誰もがアクセスできる事で、アクセスしなくなるジレンマ。

 

そう考えると、プッシュ型メディア情報と、プル型メディア情報は、やはりバランスをもって使い続けていかなければ、得られる情報が偏るんだろうな。まず、見えていない事が有る事を意識するところから。