「おこし」とは何か

地方活性化、町おこしなどということばが飛び交う会議をテレビで拝見したり、そのような記事を目にすることがある。だがそうした中でまずどうなりたいのか?その地方として、町として、どうなれば「町がおこされました」というかのコンセンサスが取れていなければ、単なる言葉の応酬、イメージの空中戦で、実利を伴わない結果に終わることが少なくない。結果、イベント会社、広告宣伝会社等に翻弄され、いっときのピークはあるものの、成功した例はあまり記憶にない。

 

なにをもって成功、というところがあやふやであると、結果としてイベントをしたり、町並みを整備したりすることにお金を費やしたりすることを考えがち。もちろん、それだけで人の流れが変わってそこに集まる人が増えたり、店の売り上げが上がることも無いとは言わない。それは、そこにそもそも存在していた商品、サービスが良かった場合がほとんど。要するに悪かった「導線」の雰囲気を変え、整備し、アクセスしやすくすることにより、寄り付きやすくなり、見つけにくかった良い商品が目に留まるようになったという事。

 

ただ、結構多くの場合、そうして導線を整備したとしても、さぁそれで売るものは何ですか?他にはないサービスは何ですか?となった時点でアウト。導線を整備しても、そこにあるものが他と変わらぬものしかなければ、わざわざそこには寄り付かない。イベントをした時だけ、きれいになったのを一度確認するために来た時だけ人が増えるけれど、それ以外は閑古鳥状態に陥るのが常だ。

 

となれば、理想の姿がみな同じように描けているのか?その理想をサポートするための何かが開かれたのか、整備されたのか?そこにこそ力を入れるべきであり、それ以外の部分は二の次のはずだ。そこに来続ける価値に投資しなければ意味はない。
…が、なかなかそれに気づけない人もいる。目先に「とにかく何かをすれば」良いと考える人もいる。それは、「熱が出たからと解熱剤を飲んだ」にすぎず、肝心の病気の根本が治っていないため、薬の効き目が切れればすぐに再発するのと同じだ。

 

確かに、行動を起こすという事は重要だ。わかっていても行動に出ない人もいる。だが「行動しさえすればよい」わけでもない。きちんと意味のある行動、自分達が思い描くことを実現することにつながる行動をしなければ意味がない。これは思ったよりも深く考えることが必要であり、昨今の複雑な社会の中でそれを考えだす、そしてやりきるのは並大抵の力ではないのは当然のことだ。だからここにはいくつものハードルがあり、正しく考え、効果的なアプローチを検討し、それに向けて一生懸命に行動、努力する。無駄なことをしている余裕はあまり無い。

 

なにかを「おこす」こと。一般的にこれはプロジェクトと呼ばれている。