利己的、利他的

ある意味非常に不思議なことなのだが、誰かのためにと献身的に、自分を顧みずにまず先に周りの誰かに、周囲の誰かに、という事をイメージして行動したり、事を起こしたりする人は、結果として皆がその人の味方になり、その人自身が大きな利を得ることがある。

言うまでもないが、自分が自分が!とまず利己的視点に立ち、周りに迷惑をかけながら、自分だけが良い目をしたり、自分だけが得をしたりする人は、結果的にその周りがその人を避けたり、助けてくれなくなる。

 

とくに「昭和」時代の日本は、(相対的に見て今より)日本全体が利他的だったのではないだろうか。周りをおもんばかり、周りのことをまず先にと考える。もちろん、そんな中で一部利己的に動いていた人は、おいしい汁を吸っていたかもしれない。が、上記に書いた通り、ずっとそればかりでは、やがて窮地に陥る。どこかで利他的な面を見せたり、利他的な側面を持ち合わせなければ、結果的に孤立しかねない。

 

昨今のSNSの機能の多くは、自分発信だ。自分発信の多くが、誰かの発信に対して「いいね」と共感することで成り立っているのがSNS。ある側面として、承認欲求、自分が満たされるためのツールになっている。だかが、どうしてもそんな中において「自分が落ち込んでいること」だけを投稿するのはむつかしくなる。同様に、自分には何の利がなくとも、誰か相手の利だけになる事…という事象も、現状のSNS上では起きにくい。

今、twitter疲れやfacebook疲れ、以前のmixi疲れの原因はこれではないだろうか?どうしても「利己的」振る舞いしか表現しにくいシステム。ここにシステムとしての限界があるのではないだろうか?

 

そこで何かの振る舞いをすると、当人には利がなくても、その人には利となる。そんなシステムが広まったり、使い勝手が良かったりすると、もっと広がるのではないだろうか?

その一つの形が、もしかすると「クラウドファンディング」なのかと考えている。そうして「ユーザーの事だけ」を考え、そこに向かって献身的に活動し、商品、サービスを作り上げていく。それを信じて、ファンドする人たちはお金を投じる。結果、より良い商品が、応援してくれた支持者に、早期にお安く届くことに。

 

でも結局、経済活動でしか成り立たないのか?SNSってそうじゃないんじゃないか?というところが、いまだモヤモヤしている。

人の繋がりとして、承認欲求だけに頼らない方向性は、システムというより、人の特性ということだし、ね。