手にしているもの

すでに日本の核家族化も進んだ今、出生率も低めなわけで、親子に子供一人、という三人家族が増えているだろう。

 

一人っ子は、こどもである自分だけに優先的に、おやつも、おもちゃも配分されるため、当たり前のように「与えられる」事になれている。だから、たとえ何かの理由でだれかにそれを取り上げられたとしても、また後になれば「自分にだけ」再配分されるという安心感を持っているところが。

 

だが兄弟姉妹、それも年齢が近いほど、自分だけに配分されるというよりも、兄弟で、姉妹で「分け合って」配分されることが増える。もちろん、仲良く半分こする子供たちもいるだろうけれど、時に自分の気に入ったものは少しでも多くほしいときなど、できるだけ多く「奪い取る」ことに血道をあげることになる。なのでシェアの公平性にはシビアなのだ。

 

子供のころはまだいい。大人になれば、与えられる世界はもうそこにはなく、自分で稼ぎ出し、自分で奪い取るつもりにならなければ、正しく配分されない状況がある。

もちろん、法やルールが守ってくれるところが大半ではあるが、最後の最後は「奪い取るつもりかどうか」が大きな違いを生み出すことに。

 

与えられたものは奪われやすい。

逆に、勝ち取ったもの、自分が努力して獲得したものは、そうそう簡単には奪われない。だから、自分で獲得する、継続的に獲得していける自分の仕組みを作る事。手にする、という事の意味を噛みしめる。