本気が笑われた時

子供同士は残酷だ。誰か一人が本当に真剣に、本気で、真面目に、必死に取り組んでいたとしても、それを面白おかしく感じる「ほかの子供」が、その一人を揶揄したり、笑いの対象にしたりする。これだけでその本気の子供は窮地に陥るわけだ。笑われている、恥ずかしい!

 

ここに大人がいた場合、その大人の対応ひとつで、その子の人生を大きく変える可能性がある。たとえ大人が見てつまらないことに見えたとしても、その子の「本気度合い」が見えたなら、

「こら、みんな、笑うところじゃないぞ。〇〇ちゃんは一生懸命やっているんだ。これはとても大切なことなんだ。〇〇ちゃん、頑張れ。そのまましっかり最後までやってごらん?他のみんなはこんなに一生懸命できるかな?」

例えばこう言われれば、この一生懸命な子はある意味救われる。そうだ、自分はやっぱり正しかった。このまま一生懸命やっていていいんだという自信がつくことになる。この先も諦めにくい何かがこの子に宿れば、それは一生の財産にすらなり得る。

 

ところが、大人の対応が間違えると…。

「ほらほら、みんなも終わっているんだから、そんなつまらないことにこだわっていないで、早くやめなさい。もうおしまいだよ」

その子が「本気」で取り組んでいたとしても聞く耳を持たず、強制的に辞めさせられる。何も私のことを見ていない。私のことを理解していない。子供がそんな複雑な思考をするのか?いや、するのだ。「わかってくれない大人の行為」を子供は決して忘れないし見逃さない。大人の理屈をしっかり見破っている。だから、本当に自分のことを見てくれている大人と、そうでない大人を、きちんと見極めている。

 

であるからこそ、「本気」をいかに掬い上げるか?それぞれが「本気」で取り組んでいる機会はそうそう多くないはずだ。

別に子供だけに限らない。大人において、本気で、真剣に取り組んでいるやつをバカにしたり、蔑んだりして扱う奴らは最低以下だ!

そうして諦めさせられた大半の子供たちが成長した世界が…今。