プラモデル(過程を楽しむ)

ガンプラ」という、プラモデルの中においてさえ1ジャンルが出来上がったほどに、ガンダムに出てくるモビルスーツという概念は、おもちゃ市場を、プラモデル技術を発展させた。塗装や稼働部品、組み上げ精度、整形技術に至るまで、さまざまな試みと技術の改善が積み重なって、いまの「ガンプラワールド」が出来上がっている。

 

とは言え、みんながみんな「プラモデル作り」に夢中なのかというと、もちろんそんな方もいらっしゃる反面、「出来上がった完成品が欲しい」という人もいる。これはプラモデルの完成品のみならず、いわゆる形になっているフィギュアという別ジャンルのおもちゃになるだろう。

 

そもそも、それぞれに「楽しむポイント」が違うという事。

プラモデルは、言うまでもなく、まず「組み立てる」という楽しさがある。形になっていない何かを自らが組み上げて、一つの形を形成する。その「組み上げる」楽しさ。さらに色付けやマーキング、シール張り等々、カスタマイズする楽しみがそこから広がる。

 

フィギュアにあこがれる人は、「出来上がっているその形」を楽しむ。そこに込められた思い。その形状、美しさ、色合い等々、時には変形するものもあるであろうけれど、そこから広がる空想やストーリーを、仮想のイマジネーションだけでなく、手に取った物理的空間の中で想像し、手の中の重さ、形として得られる触覚としての楽しみ。もちろんカスタマイズもその一部だろう。

 

と考えると、ストーリーを想像する者、キャラクターを想像する者、それをイラストとして画像に落とし込む者、動いている絵に価値を感じる者、立体物として価値を感じる者、立体物を作り上げる過程に喜びを感じる者、手触りを重視する者、形になっているものを使って空想を繰り広げる者、…等々、それぞれの過程において、それぞれの楽しみ方が存在している。人によっては、そのどこかに携わりたいと思う人もいれば、商業になっていない部分で、同人的活動に楽しみを見出す場合もある。
こうした「楽しみの時間」こそが、個人の喜びの時間であり、価値の時間、生きるための時間では?それすらを削りだして、企業の利潤への貢献に使わせ続けているだけでは、まわりまわって消費する力すら奪っていることになるのではないのだろうか?

 

あなたの「楽しむ時間」は何ですか?どんなステップが好きな作業ですか?