引き次ぐ、引き渡す

今、自分が抱えている仕事を「人にやってもらう」ためには、「こうやって、こうやって、こうする」と伝える、伝授する必要がある。もちろん、そうすることによって自分は今の仕事から手を離れ、次の仕事へと移っていく。

 

だが、(昔の自分がそうなのだが)これを嫌う人がいる。
そうして「今の仕事」がせっかくできるようになったのに、そのノウハウを伝授して、なぜに自分がまた苦労を重ねていかねばならないのか!?この仕事で少しは楽に働かせてくれよという思いが募る。
こんな人たちばかりの職場では、当然ながら仕事がうまく継承されない。それはどうして起きるのか?

 

こう考えてみよう。そのように、誰かの仕事を別の誰かに引き継げない、継承ができない職場は成長していくのか?「その仕事」が、これからも未来永劫続く仕事として成り立ち続ける保証がある…という場合なら結構だが、それはあり得ない。社会もテクノロジーも進化し続けている。そこに「とどまり続ける」わけにはいかないわけだ。
となると、どんどん次へと進化し続けなくちゃならない。そのためには「全く同じ仕事だけ、作業だけ」をしていては、相対的に後退することに。だから徐々にでも変化しつつ、少しずつでも前進し続ける必要が出てくる。
とは言え、少しは楽をしたい。それは人間だれしもある事。それがどのように報いられるのか?一つはたぶん給与ではないだろうか?一つができたらハイ次!と、どんどんと次のレベル、高いスキルを求められるのが現在横行しているけれど、それに見合った「対価」を支払えている企業がどれだけあるだろう?そもそも今の日本は実感上は、まったく給与が上がっていないところが多くないか?東南アジア諸国の中でも、相対的に、すでに給与は低い部類に。求められるスキルに匹敵する対価を払わないということは、資本家の奴隷たれという感覚を持たれても仕方がないのでは?
こう書くと、「いや、対価は「次の良い仕事」で支払われているのだ」というのもたまに聞く話。それは、資本家サイドの言い分であって、これだけ締め付けられている労働者階級の思いも多少汲んでいただきたい、と思っている働き手は少なくないのでは?

 

対価、給与の話題は置いておくとして。とはいえ本質的には、自分の仕事を誰かに受け渡して、さらにスキルを、ビジネスを、進化させていきつづけなければ、取り残される。

 

誰かに引き渡すことによって「自分の仕事がなくなる」という意識を持つならば、それは、その会社としてもたぶん危ないという事。なぜならば、仕事がなくなるという事は新しい展開がないという事。企業としてのポジションがどんどんと古くなるという事に他ならないからだ。

 

 

そう考えると、次々に考え続け、変化し続け、その時々の環境に「対応し続ける」という事。そのための変化をし続けるという事。
変わり続けることを恐れ始めた瞬間に、取り残され始めている、という事。