外見とは、誰かの見た目である

年収が1千万円を超えていれば、都内に一戸建ての家を持っていれば、結婚して子供にも恵まれていれば、宝くじに当たれば…「幸せ」なのだろうか。

 

もちろん、そのどれも手にしていない人にとって、どれかがあるだけで「羨まし」くなるのはもちろんのこと。だが、そうしてたった一つの事象だけに目を奪われていたとしても、実はそれ以外のところで、思わぬ苦労や不幸を背負って生活している人は、たぶん枚挙にいとまがないんじゃないだろうか。

 

いい大学を出ても、就職が思い通りにいかない人もいる。いい就職先に入ったとしても、家庭が荒れている人もいる。いいキャリアを踏めていたとしても家庭内があれていたり、子供が病気で臥せっていたり、不登校だったり、引きこもりだったりすることもある。さらに「子供」が子供の内ならまだしも、もう子供とさえ言えないような30代、40代の引きこもりがいたりすると、外面的にはしっかり就職して過程を営んでいるように見えても、家庭内は悩みの巣窟である人もいることだろう。

 

そう、誰しも何かしらを抱えて生きている人生。すべてがうまくいっているわけもなく、逆にすべてが悪いわけでもない。誰かに不満をぶつけたところで解決策がそこから出てくることもまずない。もちろん、相談相手がいるのは悪い事ではない。だから、誰か相談できる相手を見つけること。良い相談相手こそが重要アイテム。そのうえでしっかりと自分の生活を見つめること。自分としての幸せのバランスを見つけようとする事。

 

自分だけが恵まれていることもないし、自分だけがひどいわけでもない。みな、似たり寄ったりではないか。いい格好を見せる事があなたの幸せなのか、誰かより優っている事があなたの幸せなのか。他人の目を通した自分像ではなく、自分のなりたい自分像はイメージできているのだろうか。