自己責任という

小泉政権のころから顕著に言われだした言葉として、自己責任論という言葉が記憶に残っている。誰もが国に頼りすぎることなく、それぞれができることを、それぞれに役割を果たして、人生を全うしてもらいたい。そんな期待が透けて見える。

 

だが「自己責任で」という事は、自分や家族といった塊を最適化するように力が働くこと。これは、個別最適化が図られるという事であり、裏を返せば、全体最適化が妨げられることにつながり始めるという事でもある。

これを(もちろん物によるとは思うのだが)政治サイドとしてこれを言うべきなのだろうか?

 

いや、国が全体の面倒をそこそこに見るのが厳しくなってきているのはわからなくもない。だが、極端に振るのもやはり違うと考える。

まぁその結果としての、たとえば「年金システム」であり、「完全に年金システムだけで、皆さんの老後を100%保証します」などとは昔から言われておらず、年金システムを核として、そのうえで、皆さんも個々人で努力してください、というのが国の今迄からずっと変わらないスタンス。これはこれで考え方としてありだろう。(国民への周知、アナウンス方法に改善の余地はアリアリだが)

 

だが昨今の2000万円発言で、ちょいとニュアンスがまずく伝わってしまったことをもってして、メディアも、与党も、一斉にたたき出している始末。いや、叩いたところで別段何も変わることはないでしょ?これからすべての人の老後の面倒を見られるほどのシステムを構築できるはずもないだろうに。否定ばかりを打ち立てて、騒ぎ立てることが目的としか思えないのだが。議論すべきはそこではないでしょ?

 

そこに問題が存在することは確かであり、それに関して「議論する」事は重要だ。だが、そのためには、全体最適としての方向性があって、そのうえで、全体最適では賄いきれない部分をいかに個々人にゆだねるのか。そうした建設的な意見交換があってこその未来予想図のはずではないのだろうか?
与党も、野党も、ぐずぐずで。選べる政権がない事が今の日本の最大のピンチのような気がしている。

 

選挙が近い。