「決める」癖

人生はすべて「決断」でできている。

勉強しよう。数学をするのか、英語をするのか?

ご飯を食べよう。てんぷらを食べるのか、生姜焼きを食べるのか。

休憩しよう。お茶を飲むのか、コーヒーを飲むのか。

いやそもそも、もうあと少しでできるから、もう少し頑張ろう。

 

決めないことで、「どうする?」というグダグダの時間になっていたところが、たぶん、決めて実行することにかかる時間以上の時間がかかっていないだろうか。あぁここ汚れてるな…と思った場所を、この後、何度見るだろう、訪れるだろう。1回10秒の不快な、あぁ「掃除しなきゃ」と思ったけれど、「後回し」にすることで、これから何十回と見続けることに。結果、未来においての2分、3分の不快な時間が生まれる原因を放っておくことになる。
でも、ここで1分かけて掃除したら、めんどくさいけど、「今やる!」と決めてやること、今後不快な時間は生まれないことに。

 

自分で決めれば、自分でそれに向けて行動すれば、それがきっかけで動き出す。
何事につけ、決めなければ方向性が決まらない。決まらなければ動けない。
決めれば動かざるを得ない。動けば結果はついてくる。そして、あまり嬉しくない方向での結果が出たなら、是正のための行動をすることに決めるだけ。