時間しかなかった

少なくとも昭和の後半から平成にかけての日本はというと、高度経済成長再び…の夢を見つつ、頑張れ、もっとやれ…という方向で仕事を推し進めてきた。だから基本的考え方は「できるまでやる」だ。

とは言え、すべての物事が時間をかければできる…とは限らない。逆を言えば「時間をかけなくても出来上がる」ものは少ないのだ。そんな中で成果を上げるためには、要するに努力している「姿勢」が大切。それをどんな形で計測できるのか?というと、結果、最も測定しやすい「労働時間」という形での測定になっていた。

 

とは言え、それだけでは誰もが身体を壊すほどに開発にいそしまされることになるわけで、そのために労使間での36協定が制定されたのであろう。事実上有名無実なところも少なくはなかったかと思うのだが。

 

結果的にその36協定は誰を優遇していたのか?今考えてみれば、「力のないマネジャー」を優遇していたのではないだろうか?仕事の進め方の精査もせず、現場任せで、大した責任もかぶらずに、結果「時間」で評価されていた労働者。要するに「労働時間」以外の測定基準、測定方法を持っていなかった、考えることを放棄したバカなマネジャーをのさばらせてしまったのではないだろうか?

 

さすがに令和の時代にはいり、働き方改革が喧しく叫ばれる昨今。残業を無尽蔵にすることは許されない。であるがゆえに、成果を出せ、しかも時間内に、というお達しが下る。以前よりは確かに一歩前進した所はあると思う。しかしそうなると次に「成果」とは何か?今月の成果は?今週の成果は?これが明確化されており、さらに測定可能な状況になっており、そのうえで、あまりに実現に不可能なターゲットを示すのではなく、努力して実現できる程度の「適切な」ターゲットをすべてのメンバーにきちんと示せている事。これが本来のマネージメントの内容だ。

 

さて、あなたの上司はどうだろうか。

「私の評価はどうやって測るのですか?」は一度聞いてみても損はないと思う。少なくとも、冬のボーナスまでには確認しておきたい項目だ。