感じていることに気づくこと

仕事をしていても、「何かはわからないけれど、いつもと違う」とか「何かおかしい」という状況に遭遇することがある。この原因をとらえると、実は風邪に対していち早く手が打てたり、おかしなものを食べないで済んだり、ヘンなものを買わずに済んだり…等々、結構当たることもある。こうしたことを「虫の知らせ」と読んだり、「勘が働く」という事もあるけれど、個人的には、こう考えている。それは「自分が多数持つセンサーの何かが反応しているのだけれど、どのセンサーなのかは判断できていない。でも、どれかがおかしいと感じているという事」だと。

 

この「どのセンサーなのか」を言語化できれば、それはそれで自分自身に対する自分の認識が変わるという事、すなわち「自分を知る」という事につながるはずだ。

 

ショッピングに出かけて、「何か窮屈だ」と感じたり、「居心地の悪さ」を感じたり。カフェに入って「居心地の良さ」を感じたり、「雰囲気の良さ」を感じたり。料理屋に入って「雰囲気」はいいけれど「味」は落ちていたり、逆に「雰囲気」はいまいちなんだけれど「料理」は絶品だったり。

要するに、そうした「どのセンサー」なのかを「言葉にすること」ができれば、それが対処のきっかけとなり、解析のスタートも切れるという事。世に出ているヒットメーカーというのは、そうした「万人が感じていて、でも言語化できていないモノ」を作り出し、世に出すことによって、「そうそう!これが欲しかったんだよ!」と言わせているという事だろう。

 

なのでまず、感じよう。そして、それを言語化しようじゃないか。

ピッタリとハマった時には、本当に、これだぁ!と思うよ。