本当に頭のいいひと

仕事柄、非常に頭のいい人に会う機会も少なくない。ただし、「頭のいい人」にも、

「スーパー頭のいい人」「すごく頭のいい人」「単に頭のいい人」

くらいのレベル感はある。

 

まず前提として、上記3種類の「頭のいい人」は、文字通り本当に頭がいい。そのうえで(私の中での分類において)、

「単に頭のいい人」は、いわゆる知識どまりで、今までの何かに当てはめたりすることが得意だが、それからの発展性は少なめだ。

「すごく頭がいい人」は、知識を組み合わせて、次の何かを示してくれる。場合によってはその新しい組み合わせが、新しい何かの発見に結びついたりもする。

だがその上の「スーパー頭のいい人」の場合。最初はその人が、「頭がいい」ように見えなかったりする。あまりに常識はずれして、論理思考のよりどころが常人とはかなり違っていたりするからだ。なのでこの人に対して最初に持ちがちな印象は「変な人」。だが、話をしていても「人として」おかしなところは無い。だがあまりに発想がぶっ飛んでいることが少なくない。それこそが「頭の良さ」なのだろう。

 

例えば江戸時代、平安時代等々において、「あなたのところに飛んでいきます」というのは、鳥でもない限り実現できない事だった。だから当時の人としては「そんな不思議な事できっこない」という認識にならざるを得ない。
しかし今はというと、飛行機もあればヘリコプターだってある。空を飛ぶ道具を使って相手のもとにはせ参じることは可能だ。そう、時代が変われば技術が進む。そうした新しい技術は、それがなかった時代からすれば、魔法のような不思議なように見えること。要するに、「今の常識」に縛られない何かを感じ、発想、想起することができるという事。

 

「そんな夢物語のような…」というのは、それはあくまで「今」の技術的前提の下での価値判断。だから、本当に頭のいい人にとっては、生きている時代が早すぎるのかもしれない。いや、それをできるだけ早く「実現し続けてくれること」こそが、技術的、経済的な人類の発展に。