適切なハードル

会社の中のポジションにおいて、「管理職になる」というのは、一つ大きな成長のあかし。だがそれと同時に(人によっては管理職になる以前から)部下を従えて、それぞれに指示を出し動かす、という事の難しさを思い知ることに。

 

おおむね管理職になると(昨今ではプレイングマネジャーという立場はあるものの)、自分で作業を抱えずに、指示を出して、人を動かして仕事を成し遂げるポジションになる。この「人に指示をする」という事ほど難しいものはない。

 

それぞれの部下が、ある規格の下、まったく同程度の品質…であるのならば扱いやすいのだが、そんなことはあり得ない。当たり前だが、人は規格化された部品ではない。人それぞれに得意な事もあれば不得意もある。年齢性別も違い、好き嫌いもある。スキルレベルも様々。そういう人々を今回の作業に適切に配置し、仕事を成し遂げていくには、どうしたって逡巡はつきものだ。間違い、不適切もあるのは、ある意味当たり前のこと。

 

別にこれは仕事に限った話ではないだろう。学校でも同じこと。すべての生徒が「同じ速度で、同じ理解度で」授業が進むわけではない。だが全体として「いつまでにはこの単元を追わねばならない」というある意味のノルマは背負っている。
理解度、習熟度の早い者に合わせていると、落ちこぼれが多数発生する。だが遅い者に合わせていると、当然早い者はつまらなくなり、横道にそれることも。
それぞれの者において、適切な習熟スピードで、適切な課題、ハードルを設定してやることができれば、遅い者は遅いなりの速度で、早い者は早いなりの速度で、必須項目は理解することが可能であり、それぞれに「学ぶ楽しさ」を実感できることになる。昨今はこれを、いわゆるタブレット学習装置などでサポートしたりする学校も出てきた。真に効果があるのなら、ぜひこの方向で行ってもらいたい。

 

ただ、「仕事」においてはなかなか遅い者を待つわけにはいかない。であるから「遅くなりそうな者」のタスクには、それなりにバッファを設けて、保険をかけて対処することも。だがそれとて無限に対応することは不可能だ。さらに、昨今の「働き方改革」別名「高効率化を求めている職場」からは、残業や救出などは極力抑えられ、より高いプレッシャーの下での作業の成果を求められる。こんな環境下においては当然、心を壊すものが出てもおかしくないだろう。「すべての作業がうまくいく前提の仕事」でしか儲けが出ないような状況で、商売が成り立つわけはないのだ…が。そんな環境になっている職場がなんと少なくない事か…。

 

全てのハードルが、飛び越えられないようなハードルになっていたとして、その仕事を請け負う意味があるのか?だれがやるのか?その結果何を生み出したいのか?それを受けた時点で、事業が成り立つ前提が無いのでは?

仕事を「すること」が目的になり始めていませんか?それで正しいですか?