スキマ時間

ここ10年で明らかになくなりつつあるもの、そのひとつが「スキマ時間」ではないだろうか?もっとべたに行ってしまえば「ボーっとする時間」「考えない時間」だ。

 

関東近県においては、通勤通学列車を見れば一目瞭然。昔なら、本も手にせず、新聞も読まず、イヤホンで何かを聞いているでもなく、ボーっとしている人、一つの車両に、一人や二人はいただろう。

だが、今の車両においては、大半の人が「何かの情報」を見ている。その大半が手元のスマホ、もしくはタブレットの画面を通じて、という事。昔ながらの連載本の内容を、Kindleでとか、メルカリのでモノを探していたりとか、インスタでフォローしている有名人を見ていたりとか、ゲームをしているのは当然のごとく。

 

 

こうして、「情報に圧倒され」て、どんどん頭の中に押し込まれるように情報を詰め込まれて、それにおぼれている毎日。見ようとしなくとも、街中の広告や電工掲示板等々から映像も、音も、大量に押し寄せてくるにもかかわらず、自分の手元に、自分で選んだ(モノも含め、広告主から押し込まれている)情報を見続ける。

 

デジタルデトックスという言葉が時々言われるけれど、自分で意識的に、そうした情報にさらされているところから逃れる、避ける、という行為は、確かにあってもいいんじゃないかと感じることはあるよね。

…って、これがそもそも「それ自体」になっているところが、矛盾しているのだけれど。