社会としてのリスクのしわ寄せ

小さい子供が体調を崩したら、代わりに面倒を見られるか、仕事を抜けずに済ませるか?

 

そもそも面接時にそんなことを聞くということ自体が、その会社のスタンスを表しているといってもいいだろう。それほどに「その会社はギリギリで回さなければならないほどに追い詰められている会社」という事でもあり、であるがゆえに、「その会社の社員も、追い詰められざるを得ない状況にあるという事」を、質問すること自体が語っているに過ぎないのではないか。

 

そういう意味では、経済が、社会が、「子供に起因するリスクを、受け止めきれない」と言っている。個人努力ではもはや限界なのは見えている。だからこそ、「保育園落ちた、日本死ね」などというつぶやきが当たり前のようにネットを飛び交う。言いたくもなるだろう。こんなに「個人レベルではもう戦えない、対処方法がない社会」であるにもかかわらず、他方で「子供を増やさねば、人口を増やさねば」などと言っている。ちゃんちゃらおかしい。ダブルスタンダードも甚だしいではないか。

 

もちろん、個人で甘えている奴らもいるのだろう。だが、多くは対処できず、自分で面倒を見ざるを得ず、一部の仕事に制限が出てしまう。がゆえに、それを突かれて安く働かされる状況に陥っている事も。
それに甘えているのはだれなのか?その起業か?業界か?自治体か?国か?

すでに一部では考え始められているとも聞くけれど、明らかに資本主義社会のほころびが見えてきている気がする。この仕組みではまともに回らなくなってきており、弱い者へのしわ寄せが甚だしい。我々全体がよりよい形でより多くの幸せを手に入れられるためにはどうするべきなのか、どんな形にすべきなのか?意欲をそがず、かといって発展していける新たな仕組みを。

もうこう感じ出して、10年は経ってるんだよなぁ。