非合理的な僕ら

常に合理的に判断して、一番いい手、一番いい対応を取ろうと努力したところで、所詮は大した判断ができていない、それが多分僕ら。

 

その一つの理由が、常に「不完全情報下」にあるという事。見えている、知っている情報は、所詮不完全だ。その中において判断するのが常であるため、その情報の外側に重要なカギとなる情報があったとしても、判断の対象とならない。

 

たとえ「完全情報下」にあったとしても、すべての未来が見渡せているとは限らない。さらに言えば、未来には不確実性(そう、これをリスクと呼ぶ)が待っている。そうしたリスクを加味したうえで判断が下せているか。
リスクは確率論だ。であるからこそ、数学的に計算としての答えを得ることは可能だ。にもかかわらず「…でも…やっぱり」という欲や目の前の何かに左右されるのが人間。

 

…といったすべてのめんどくさい事は横に置いておいて、直感で勝負する…という人もいる。いや、それがその人のスタンスならもちろんどうぞ。

 

こんな人間の特性をどのように表すか、その指先一つ、行動の変容の表し方ひとつ、パラメーターひとつで、それによってシミュレートされた結果は大きく変わりうる。もちろん、過去の事例に当てはめて、それらしい可能性の高い結果を導き出しているのだろうけれど、所詮「パラメーター化できていない要因」は必ず存在するものだ。
そんな「非合理的判断をする僕ら」の行動の多くが、予想の範囲に収めることができる結果として導けるのだから、確率論の学問としてのパワフルさ、恐ろしさと言ってもいいかもしれないものを感じざるを得ない。

そのくらい未来は見通せる、と思えるのか、いやそうは言っても何があるかはわからない、となりゆきに任せるのか。あなたのスタンスは?