違いがわかる

日本人は特にかもしれないが、自分が他人と違うという事よりも、みんなと一緒という方を好む。なので、違ったらあせる。服装、趣味、飲み物、食べ物…。

「空気読め」というのはまさにその典型であり、周りと一緒にしろよという無言の圧力。

 

それはある意味、「違いは認めないよ」と言う意味。同調圧力とも言う。

 

その割に、企業や組織の中では「他人との違いを生み出せ」「あなただけの価値を見つけろ」と突き上げる。まさにダブルスタンダード

いつを境に、どこを境に「違いを理解」し、どこを境に「みんなと同じ」にすべきかは、それこそ「空気を読め」と。

なので当然、外国人にとっては良くわからないことも。どちらか一方で突っ走るならまだ、あぁそっちなのねと理解もできるが、臨機応変に使い分ける日本人には、「いつ切り替えるんですか?」とわけがわからず。

 

でも、基本、社会が流動化し、地方であっても外国人が闊歩することを見る事は珍しくなくなった時代。違いが分からなければ、受け入れなければやっていけない。

それは奇しくも、自分が周りとどれだけ違うのか、裏を返せば、何が同じなのかを理解すると言う事でもある。

違いが分かると言う事は、それ以外のところでは同じだよとわかっていると言う事。


分かると言う事がスタート。それをどうハンドリングするのかは、その次のステップに。だって、分からないモノは扱えないですから、ね。