固さと柔らかさ

モノを丈夫にしようと思うと、たいてい「固くする」方向に考えがちだ。

ただある限界を過ぎると、実は柔らかさというか、しなやかさを備える事こそが、丈夫になるという事もある。

 

飛行機の羽を離陸、着陸の時に見たことはないだろうか?かなり「しなって」おり、あれ、折れそう!とやきもきした心持で眺めたことはないだろうか?

あれは逆に硬すぎると、「ポキッ!」と折れてしまう事につながるため、しなる事で力をいなしている効果があるらしい。

 

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今、どこの企業においても、企業の中で進められている効率化。これは、企業や組織をより強固にしよう、儲けを確立していけるスリムで強靭な体制を築いていこうという方向性に見える。…がゆえに、あまりに効率化しすぎる、すなわち無駄作業、余剰がなくなりすぎると、ある事が、ある人が、ある装置が一つ、一人、一か所動かなくなっただけで、その組織が、ビジネスが、ポキッ!と行く可能性が増えているのではないだろうか?それこそ頭の悪い上司にそういうことを提言すると、「それも含めて効率化せよ!」などと、実質二律背反する命令を出している人もたまに見かけることに。

 

いざという時にサポートに入れるほどに、仕事に重なりを持ったり、バックアップ体制を持つというのは、いわば「非効率化」の極みだ。そんな「無駄」を「効率化せよ」と現場に強いていることがイメージできていない上司がいかに多いことか。

そう、であるがゆえに当たり前だが、どこを「どのくらい」効率化するか、逆に言うと、いざという時でもここまでのダメージは受け入れる、ということとバーターで効率化を考えなければならないということ。

 

まぁ、そんな明確な指標が出ていれば、今の現場で病んでいる人は多分、今の半分になっているかもね。

 

 

私には見えていないものがある

幸いなことに、職にありつけており、それなりの月給をいただくことができている。決して億万長者ではないけれど、そこそこに安心できる生活は送ることが可能な額。

 

…であるがゆえに、たぶん私には見えていないものがまず間違いなくある。

生活のお金がうんと足りない人、お腹が常に減っている人、食べ物に困っている人、住む場所が安定しない人などなど、自分の環境と隔たりがある人々は、なかなか日々の生活の中では想像しがたい。

 

たぶん、日々の会話の内容も変わってくるだろう。お金が足りない人はお金の、食べ物に困っている人は食べ物の話題が上らざるを得ない。そうなると日々話をするそれぞれの人々の間において、話題が共通する部分がある人は、それなりに何かの「レベル」が合う人に選別されてこざるを得ないだろう。このこと自体がますます、自分以外のレベルを見えにくくする。

 

同じ意味合いで、私には、私よりうんとお金持ちの人たちの「rレベル」が見えていないのだろう。別に無理をして絶対に見たいとも思わないのだが。

 

メディアが発達したことで、テレビやラジオ、新聞雑誌でそうした状況を知ることができるようになった反面、ネットが普及して「見たいメディア/ニュースだけを選択できる」ようになった。このことで、逆に見たくないニュース、自分のクラスに必要ないニュースを見えなくしている現実もある。誰もがアクセスできる事で、アクセスしなくなるジレンマ。

 

そう考えると、プッシュ型メディア情報と、プル型メディア情報は、やはりバランスをもって使い続けていかなければ、得られる情報が偏るんだろうな。まず、見えていない事が有る事を意識するところから。

 

スタンス

表から見て見えるものと、表には表そうとしない本心と。それぞれ見えることもあれば見えない事もある。見せることもあれば見せない事もある。

ただ、仕組みとして、そうしたものをしっかり見せていかないと、そもそも排除される。努力する者、頑張る者、そして良いものを生み出していく者がもてはやされ、期待が価値を生み出す仕組みまである。たぶんその一つが株式市場。

 

ただここには最低限のルールがある。嘘をつかない、ずるいことをしない。社会が、経済がひっくり返る、混乱を起こすような企業は排出しなければ、そもそも混乱を生み、結果として皆を不幸に叩きこむ。だからこそ、厳格なルールの運用が必要になるし、それを破った際の罰則の適応も厳しいものになる。

 

あるベンチャー企業がある。応援している。微々たるものだけれど相談に乗る事もあった。本気でやりたいこと、それが多分人々の役に立つこと、今より良くなることだと信じて突き進んでいる、こういう会社は本当に応援したい。

 

でも最近こんな情報も聞いた。

そこは一部上場企業。だがいわゆるメーカーでCMを打つような企業ではなく、裏方を支えるような企業で、よほど企業研究などをしなければ見つからない企業もある。

そんな一部上場企業の管理職からの、こんな言葉、つぶやきを聞いた。

「いや、うちの企業は保守的だから。何か新しいことを生み出すのは極力避ける。自分自身を新たにしていくようなことには興味は「ない」。それよりも、いかに効率化するか、努力するか。今はそれだけだ。」

 

正直、自分がこの一部上場企業の株主だったなら、即刻この会社の株は売りたいと思った。一般向けに公開されているような情報、文書からは、そんな匂いは一つもさせていない。そう、それが表向きのスタンスであり、たぶん発言、つぶやきが本音の一部じゃないだろうかと勘繰る。

もしかすると、その企業の「トップ」は、改革だ、新しく変わっていくのだ!などと言ったスローガンを、社員全員に、もしくは株主に向けて掲げているかもしれない。それを認識できていない管理職、従おうとしない者の戯言を、たまたま聞いてしまったのかもしれない。

しかし企業と言うのは、時にそういうところから徐々に蝕まれていく。だからこそ高い理想や人間性などが、会社を引っ張る者にのしかかる。プレッ シャーもある。難しい決断もある。苦しい時もある。それらに耐えて皆を引っ張っていくからこそのポジションであり、それに見合った給与のはずだ。対価に対する給与であってほしい。

 

その上っ面のスタンスが崩れたとき、本音が垣間見えたとき、企業価値は崩壊する。

 

 

 

即戦力

ここでは何度も書いているけれど、すでに「終身雇用」などと言う言葉は事実上、日本の就労者の大半には当てはまらず、時に応じて仕事を変え/変えさせられ、次の職に就くというのが当たり前の社会になっている。

 

そんな状況でもあるため、ある意味、ずっと昔なら「転職回数」が不利益に作用していた時代とは変わり、「ほぉー、いまだ転職されていなかったのですね。それはお珍しい」などと揶揄される時代になっていたとしてもおかしくはない。それほど優秀かつ強大な大企業において長年…と言うならともかく、場合によっては「なぜそこに、そんなに長いこと居続けたのか?」ということが問われる時代にもなっているのではないだろうか?

 

転職を受け入れる方はと言うと、昨今の事情を背景に、「即戦力」が求められているとどこでもが異口同音に語る。個人的には「そう同じように語る事自体が、もう、あなたの会社のお先が知れている」と思わなくもないけれど、それはまぁおいておくとして。

そもそも「即戦力」が求められているというのだから、自社において、少なくとも3か月以内には、いっぱしの成績を上げてもらおうか…というのが、取る方の会社の目論見だ。となると視点はこうなるはず。

前の会社においては、その知識は効果的に使われなかったけれど、今度うちの会社においては、それは即武器になりえると判断できること。

その理由は多分にあり得る。それは、前の会社が、そのスキルに関する事業から退いたとか、そもそもそのスキルを必要としていなかったとか、事業が傾き始めて縮小対象になったとか…。

何にせよ、「本当に前の企業において、活躍しているような人であるならば、前の企業が出すはずがない」のであって、なぜ今この「転職面接」の場にいるのか?が問われることになるのは当然の事。

この部分の説明をきちんとできない限り、取る方は危なっかしくて取りたがらないのは当然だろう。スキルがないものはとりたくない。素行が怪しいものも取りたくない。実力があって、でも前の会社の事業方向とは違い、その今持つ素晴らしいスキルを活かす場としてウチを選んでくれた人を取りたい。

 

…というマインドで仕事を探しているかということだろう。逆に言えば、そのマインドで探さない限り、就職したはいいけれど、結局、会社にとっても個人にとっても、どこか我慢を強いられて、つらい結果を生みかねないはず。

 

とは言え、世間は「労働力不足」だとか。そりゃそうだろう。どんどんやめさすんだからさ。働く側としても、そんな低い賃金しか出さないならと、スキルある者から逃げ出すのは当たり前。きちんと見合った対価を支払う会社、そして社会を、みんな求めているのだから。

 

 

情報をくれる「人」

学生時代において、興味のある情報は、何らかの形で友人を経由していた。

この前雑誌で見たんだけど、テレビで見たんだけど…。その友人が私に向けて、その当人の興味ある事を話してくれる。もちろん、同世代だし、興味の範囲も似たようなものなので、こちらも食いつく。

 

ただそれはよく考えてみれば、こちらも情報を出しているから、提供しているからこその情報提供。ギブアンドテイクの結果に過ぎない。こいつはこれに興味がありそうだとわかるから、似た情報を教えてくれるし、それに反応もする。何度かそうしたアプローチがあっても適切に反応しなければ、もうその友人から、その手の情報は得られなくなる。

 

大人になると、たぶんそうした情報源は、多くの場合定期的提供者としては消えていく。よほど趣味の友人の集まりやネットワークが強ければ別だが、そういう人々は周りから減り、家族プラスアルファ程度の付き合いが増える。であるため、趣味の音楽、趣味の映画、趣味の本…などといった話は、大人になるとジワリと減り始める。結果、新しいジャンルの音楽、映画、本、エンターテインメントをはじめとする刺激ある情報などは、入手経路がほとんど「自分で得られるもののみ」になり始める(ま、だから友達を作ろう…などとも言うのだが)。

 

逆に言えば、これが今でも潤沢にある人は、より彩華やかな豊かな人生を送られている事だろう。昔に比べてネットから得られる情報が増え、それら情報を取りやすくなったものの、それでもなかなか自分から情報を「取りに行かない」人も多い。それは入手チャンネル、情報源は、有るけれど自分からアプローチしに行く人は少ない、限られていると言う裏付けでもありそうだ。

 

そうした「今、情報をくれる人」がどれだけ自分の身の回りにいるのか?それも、自分といくらか興味がかぶっていて、でも違うところの割合もかなりあって刺激がある。こんな人が何人か周りにいるだけで、たぶん人生は豊かになる。

そして、より豊かな人生を求める人は、それを求めて、情報となる人を求めて、頻度に差はあれど、外に向けて動き出すのだろう。豊かになるものが、口を開けていれば降ってくるのを待つだけの人か、それとも自分から取りに行くのか。このあいだの色合いが、一つの特徴なのかな。