前に進んでいけるのは

そこに、小さくとも希望があるから。希望のような壮大なことでもなく、楽しみでもいい。そこに至れば気が休まる何かがそこにある。それが重要だ。

だからその先に希望がなければ、前に進む意味もない。楽しみにつながらないのにそこに至ろうとは思わない。

 

もちろん、そこに至るまでに険しい山谷があるかもしれない。が、それを乗り越えたところに「やったぜ!」と思えるものがあるなら、そこを目指したくなるというものだ。
この分かりやすい一例が、登山家ではないのか。山好きでない人からすると「なんで苦しい思いをしてそんなところに行きたがるの…?」という人は少なくないだろう。だがそこに至ることで得られる何かがある。成し遂げた何かがある。

 

それがいきなりビジネスになると、まずほとんどの人が「山が見えなくなる」のだ、なだらかに広がる丘が眼前に広がっている。これでいいんじゃないの?といった形で、どうしても人間楽な方向に流れたくもなる。

だが、そこに「ビジョナリスト」が出てくる。
「どうだみんな、こんなことをしていていいのか?僕らはもっとこうなれるんじゃないのか?なりたくはないか?」

これが大多数に共感を呼ぶことがあれば、それがビジネスとして動き出す。もちろん、技術的、制度的等々のハードルがいろいろあるだろう。だがそうした苦難でさえ、「それを超えた先にある未来」の魅力が勝れば、そこに進み続ける原動力になる。

 

もういい、これ以上便利にならなくてもいい、こうなってほしいというものがない…と思い始めると、そこで「止まってしまう」。要するに「今以上に成長しなくてもいい」ということになってしまう。

悪いとは言わない。だがそれは、知識も、物理的な物質も「経年劣化」する現代においては、(長い時間かかって)朽ち果てる方向でしかない。少なくとも「そこにとどまり続けるため」には、朽ち果てる速度と同程度に前進する必要がある。

 

だからこそ、前進するための希望を作りませんか。大それた希望でなくてもいい。明日の夕飯を少し豪華に…でもいいではないですか。それがより多くの人に賛同を得られるような、協力が得られるような何かなら、より多くの人々がともに「前に進んでいける」ことに。