自由を持つがゆえに

すでに最近のテレビのほとんどが、録画機能を持っていて。
昔は、テレビという単体機があったうえで、録画機を別途購入し、それをテレビに正しくつないだ上で、「何時から何時まで、何チャンネルでやる番組を録画する設定…」をするのが、(後付けだったこともあり)めんどくさかったり、操作が複雑だったのだけれど(だから失敗も多くて)。今では、「番組表」と連動して、これを見る?録画する?でボタンで押すとOK、みたいな簡便な状況。

 

この影響は多方面に出ていて、その顕著な一つが「視聴率」という考え方、受け止め方の変化。そもそも「テレビ」を必要とするシーンが減りつつあるところもあるけれど、リアルタイム視聴すらしなくなったことで、視聴率の意味合いなどが大きく変化した。なので、過去の同ジャンルの数字と比較したところで意味合いが違いすぎていて。

 

もうひとつが、「見る時間に縛られ無くなった人が格段に増えた」という事。録画機がなかった以前なら、「あぁ、あの番組が始まる前に帰宅しないと…」という時代が昔はあったわけだが、今はそうした行動はもうほとんどない。上記のように録画予約が簡便になったこと、さらには、録画機自身が予想して予約する機能なども入ったことから、わざわざ予約しておかなかった番組でさえ、録画されていることに。見たい番組を見逃しにくい、便利な時代になったものだ。

ただ、そうして録画したものを見ることが普通になったこと、見たかったであろう番組を見逃しにくくなった事で、結果突きつけられているのは、その番組をどう見るか、どこで見るのかが個人にゆだねられ始めたという事実。例えば自宅でテレビの前でゆっくり見るのか?出先のスマホ画面から呼び出してみるのか?通勤通学の時間を使う、などなど、選択肢ができたことで、「その方法をその個々人がいかに効率的に使うかがゆだねられた」という事。もちろん、それらを便利に使いこなして、より効率的にふるまえる人も出てくるだろうし、効率化できずに非効率な時間の使い方をする人も出てくるという事。だがそこで、使いこなせる人と、テクノロジーに振り回される人が出て来ている。
そう、それら便利な選択肢ができたことにより、より工夫する者と、工夫できない者/しない者とを峻別できる時代になってきたという事。

 

自由にいつでも見られるという力を持ったことで、どう使いこなすかを突きつけられる世界。あなたはどうありたいですか?