仕事はそうかもしれないが

仕事現場では、効率を追求されることが多い昨今、みなさん、成果は出ているでしょうか?とはいえ、そんな無限に効率化できるならだれも苦労はしないわけで、どこかで行き詰ってしまう事は見えている。だが、そこをさらに追及せよといった形の上司のプレッシャーを感じて、心を病んだり、身体を壊したりする人が多い状況ではと周りを見て感じているのだが。

 

さらに言えば、自分の人生において。それは「効率を追求すること」…であるわけがない。もちろん、効率を追う事で得られる部分はあるだろう。だが、すべて効率なのか?というと、決してそうではない。

ぼんやりと自然を眺める時間も必要だし、ぼーっと何も考えない時間さえも必要。ただ単に体を動かすことが必要な時間もあるし、何かをしていることが楽しい時間すらある。「人間」などというのは、究極的には、いかに無駄をしながら過ごしていけるのか、その無駄時間を、自分の人生として感じられる、楽しめる時間にできるのか?ではないのだろうか?

 

(まったく本気ではないのだが、仮に)もし、人間の人生が「効率のみだ」というのなら、そもそも経済効率を考えれば、生まれた瞬間に死ぬことこそが最も効率的ではないのか。それは生きる意味なのか?もちろん違うでしょ。

となるなら、仕事とは離れて、何のために生きているのか、そして生きるために必要なこととして仕事をしているという、仕事の目的を見失わない事こそが重要。

 

今一度考えよう。何のために勉強し、何のために仕事をし、何のために生きているのか。仕事は人生の一部ではあるだろうけれど、仕事が人生の全てではないのだから。仕事で得たお金や時間で、何がしたいのですか?