100点満点の世界

小学校のテストは、基本、きちんと落ち着いて考えることで、誰もがほぼ満点、100点を取れるように設計されている…と聞いたことがある。

だが当然、これがその後もずっと続くわけもなく、中学では100点はむつかしくなり、高校でも(学校レベルに寄るだろうけれど)満点はなかなか取れない。

 

もっと言えば、大学においては当然、「満点」など期待されていないし、とれるはずもない。余程「覚える事」に注力する試験であれば話は別だが。大学においては何が期待されているかといえば、物事に対峙する力というか、捉え方、考え方、そして場合によってはそれを深掘りする力、より詳しくアプローチする力を養うことが求められている部分ではないのか。
であるがゆえに、当然ながら「満点」はあり得ない。よりよい工夫をした、より良いアプローチをしたという事が評価される点であり、それによって、今まで世にないアウトプットが出せていればさらに加点されたりする。

そのため、例えば80点以上を「A」としたり「優」としたり。60-79を「B」としたり「良」としたりと、なっており、満点、100点が「A」ではないことをもってしても理解できるだろう。

 

そう、社会において満点を取る必要はない、そもそも満点など取れないのだ。
だからと言って「手を抜いていい」というのではなく、万全を尽くしても満点になどならないという事、考えつくしても完璧には至らないという事。
ただ、当然ながら、事情によっては二律背反になるようなことを内包して、どちらかをあきらめてしまわなければならない状況も出てくるだろう。これも含めて満点を目指す必要はないという事。どちらかをあきらめる事を選択しなければならない時も、普通にやってくる。

小学生の時代以降、中学、高校あたりで、当人がそれにいかに気づけるのか。満点が取れないからと腐ってしまっては元も子もない。だが、満点を目指さなくてもいいからと手を抜くのも勘違いだ。こうしたことが、自然を知り、世間を知り、社会を知るという事と繋がっているという事。であるから妥協もあり、諦めもあり、失敗もあり、その上で、成功、引いては大成功があり得るのだから。