想定できない、したくない人たち

最悪なこと、悪い事、こうしたことを考えられない人々がいる。もしかしたらこうなるかもしれない、もしかするとこんな悪いことに…。これらを「考える事」に意味があるのだが、それが嫌いな人の一部は、「そもそも考えちゃったら起きるかもしれない」と、恐怖にかられるから考えない。もうこの時点で、何を言っているのかがわからないのだが、恐ろしい事は、「考えなければ起きない?」のだろうか?

 

悪い事を考えるのは何のためか?別にそれが起きてほしいわけではない。起きないに越したことはない。だが、可能性として起きる可能性があるのなら、そんな悪いことは、「事前に想像できていれば、起きないようにする工夫」はできるはずなのだ。だがそういう工夫ができる前提は、「…という事が起きそうだから」という、想像できていることが大前提。なので、悪い事を考えるのだ。これがわかっていない人が少なくないと思っている。(以前、とある方は、そうした事象を考えていくつか説明し出したところ、怒り出した人もいる。もう最悪だった…)

 

こうしてツラツラ書いてきた内容、これが「リスクへのアプローチ」の仕方だ。基本、これしかない。やばいことが起きる可能性を考え、それに対して対策を打ち、ほとんどの場合が可能性を極力下げる。やばいリスクについては、そもそも抜本的改善が求められることさえある。が、すべてに抜本的な改善は、たいてい、時間とコストの観点から掛けられないことがほとんど。それでも我々は前進しなければならない。そのためにどうしていくのか?

 

恐れるだけでは脳がない。考えて、対処を打つ、そのスタートになるのは考えることだ。考える事、想像すること。これなくして生きている意味がない。何かを考え、何か行動する。それこそが生きている価値なのでは?
あなたは何のために生きていますか?