何に注目しているのか

スポーツなどで、「日本戦」が注目されるのは良く分かる。ある意味、日本が戦って勝ち抜けるのか、日本全体が一丸になりやすい状況の一つでもある。なので昨今のラグビーもそうだし、サッカーワールドカップ、夏冬のオリンピックなどが典型例だろう。

 

だが、それ以外にも「日本」に注目することがある。その一つがまさに今の季節の「ノーベル賞受賞者」だ。

ここ何年か、日本人が受賞者に上る事が多くなっているように感じる。それをこぞって取り上げるマスコミもある。ずっと受賞者候補に挙がりながら、なかなか受賞できていない日本人もいると聞く。

その上で発表。もちろん、日本人が受賞すると大きく取り上げる。自分事でないはずなのに、なんとなく誇り高く感じる事すらある。そもそもすでに日本人ではないはずなのに、日本とゆかりがある人という形でなんとかマスコミが取り上げたりすることさえある。

逆に言えば、日本に全くゆかりのない人がノーベル〇〇賞を取ったところで、多くのマスコミは取り上げない。まったくではないが殆ど取り上げない。鶏が先か卵が先かの話になるが、市民もあまり注視しない。あぁ、日本人がとらなかったのかといった具合だ。

 

という事は、「ノーベル賞」といった形で「何か権威のあるものを受賞した、それが日本人だ」「日本が褒められている」という事に興味があるのであって、その多くは、「今年のノーベル賞において、何が称えられているのか、という内容ではなく、それを日本人がとったかどうかしか興味がない」という事ではないだろうか。

もちろん、より身近な、同じ人種が栄誉を与えられるというのは誇らしいものだし、我々にもわかるかもしれないという考えも働くかもしれない。だが本来はそれすら超越した形で、「人類としての英知」として称えられる内容がそれではないのだろうか?と考えると、まだまだ我々は視野が狭くはないだろうか?とさえ感じるのだが。日本が、日本人が。同胞を称える事はわるくない、でもそれだけでいいですか?他の興味は有りませんか?