(難しい事の)伝え方

小難しい内容を分かりやすく伝えるには、その「根幹」をきちんと理解し、そこをずらさずに伝える必要がある。そのためには、深い理解(これこそが根幹を理解している、という事なのだけれど)が必須になる。

 

見かけ上、言葉上、とても分かっている人と「まったく同じ言葉で説明する事」はできる。一言一句たがわずに、それこそ口伝で覚えこめばよいだけの話だ。が、実際にやってみると分かる。そうして、言葉で伝えるだけなのだけれど、明らかに「自信」に違いが生じてしまう。そう、言葉だけではなく、語気、立ち居振る舞い、声の大きさなど、全てにおける違いを持っての違いなのだ。

さらに、口伝で生半可に理解している際には、ちょっとした質問や突込みに対して、それこそ「不快レベルで正しく理解されていないことにより」正しく論理だてた細部の整合性がとれた返答ができない場合が少なくない。これでどうしても「あぁ、こやつはあまり深くは理解していないぞ」と勘繰られてしまう。人はそうした細かな違い、雰囲気、動作、しぐさには敏感だ(逆に言えば、そうしたしぐさや動作さえも習得すれば、そこそこ行けるとも言えるかもしれない)。

 

とすると、伝えているのは一つではないということ。それは「その内容」であり「言葉としての伝え方」であり「態度としての伝え方」だろう。であるがゆえに、習得がむつかしい。それぞれをある一定以上のレベルに持っていけて初めて、「伝えられる」ということ。

さらにさらにむつかしいことに、上記で「伝えられる」と書いていることでお分かりの通り、相手に「伝わる」ということと「伝えられる」という事の間にも、当然ながら隔たりがあるという事。そう、相手の思い、態度、気分にも左右される。伝える側のたけている人は、そうした相手側さえも「伝わりやすい形に持っていく」術を講じながら「伝えている」ということ。

やはり「伝える」それも「うまく伝える」というのは、かなり「スキルレベルの高い技術」だという事。「自分が何を認識しているか」を認識してますか?ってことかな。