自慢のステップがなくなった世界

インターネットがなかった時代。
それはいいかえれば、世界中の情報の入り口が、テレビや雑誌程度しかなく、非常に狭く、遅かった時代。
であるからこそ、テレビをはじめとするメディアの情報は貴重で、皆がそれにかじりついていた時代。ただ入り口は非常に狭く、世界のどこにどんな人がいるのかなど、まず知る由もなかった時代。

 

だが現在は、インターネットが庶民の手元にある時代。であることで、昔にはなかった、世界の津々浦々の、昔は知りようのなかった、ちっぽけな、つまらない情報が、手に入れようとすれば、そこそこ手に入る時代。

 

だがそれによって、いつでも非常に低コストで情報が取れる反面、世界が急速にフラット化しているのも事実。
昔なら、学校一番の「(たとえば)走るのが早い子」は、それだけで学校という中で自信が持てた。これが、将棋でも、ジャンプ力でも、なんでもいいわけだけれど、学校一、地域一、県内一、地方一、日本一などと、自慢の範囲が徐々に広がり、それによって、徐々に(←ここがポイント!)かなわない相手がいることを実感し始める。

 

だが今や、情報は光の速度で地球を横断する。なにで、今自分が得意だと思っていることが、実は世界にはもっとすごい奴がいるという事が、すぐにわかってしまう時代。なので、自慢して自信を持つ時間もなく、一瞬で諦めの境地に陥ることに。

 

もちろん、それをポジティブにとらえることもできなくはない。そんなすごい奴が世界のどこかにいるのだから、彼/彼女に教えを請えばいいだけのこと。そんなすごいスキルがどんどんと広がれば、それだけで人類の著しい進歩につながるはずなのだから。

 

ネガティブにとらえるのか、ポジティブにとらえるのか。

たいてい、ネガティブにしかとらえられないところが痛いところではある。