決めない、変われない

どうやら中年世代の引きこもり人口が、思った以上に大きいのではないかという事が問題になり始めている。別に当人に聞いたわけではないけれど、当人とて、なりたくて引きこもりになったのではないはずだ。時代やタイミングに翻弄された結果として、そうならざるを得なかった。それが今の状況。

 

だが、いったんこのスパイラルに入ってしまうと、自分から抜け出していったところで、どうせ失敗するとか、どうせうまくいかないとか、そういうことになりがちだ。だからこその引きこもり。

親の世代と同居していたりすると、親サイドとしては気を使わざるを得なくなって、こうしたほうがとか、予期に計らうことになる。だが当然ながらそれすらうまくいかない。当人からすると、「親のお前がそうしろと決めたから」などと、言い訳の機会を与えてしまいかねない。だが親は親として、無視するわけにもいかず…。

 

結論として、大なり小なり「自分で決めていかざるを得ない」と思っている。

いや、そうしたからと言って、必ずしもうまくいくとは限らないことくらいは知っている。だが、自分で決めてうまくいかないのは、それは自分のチョイスがまずかったことにも一因が。であるから他責にはできない。そう、遅かれ早かれ、何らかの決断を自分で背負い込む覚悟をしなければならない時がやってくるのだ。

 

自分で決めないなら他人事にできる、他責にできる。誤解を恐れずに言うと、この一つの事例が引きこもりのような気がしている。もちろん、外部からの大きな圧力で心に傷を受けたことがきっかけでなど、不幸な始まりもあるだろう。でも、どこかで自分で打ち破って出ていくほかない。誰かの責任にしていては、いつまでも誰かに頼り続ける時間が終わらなくなる。だから、決めることをサポートしていかなくては。

 

しばらくは面倒を見てくれる誰かがいたとしても、自分から決めるところに向かわなければならない。自分から外に出ると決める。自分からこうすると決める。それを、たぶん選択肢として、特に最初の内は、つらいほうを選んでいかざるを得ない事。でもそれって、健全な人だってやっている事。だから万が一それで失敗したとしてもセーフティーネットのあるところで「自分で決めていく」。

生きるってつらい。