分かっているのに対処しない

仕事ができない奴は確かに居る。

仕事を与え、これを成し遂げてくれと伝えても、思ったように動かない…たぶん、動けない。そこで、途中でどうなっているのかと聞くと…。

「これと、これをやる予定つもりですが、なかなかうまくいっていない…」とコメントが。

 

何もわかっていないのなら、これをやって、次にあれを…と指示を細かく指示を出して進めるように促すこともできる。が、コメントからするとわかっているようにも見える。そう、理解はしているようなのだ。これがタチが悪い。

分かっているのに対処しない、できない奴は、めんどくさがりなのか、やりたくないのか。やることはわかっているのにどうして行動に踏み切れないのか。

そもそも仕事は、誤解を恐れずに言えば、「すべてがめんどくさい」のだ。それをやることで価値が生まれる。そのめんどくささの一番は、責任を背負って自分の手を動かし、多くの場合、調整をしなければならないから。であるからこそ、それなりに動けば昇進もありうる。が当然、それを動かさない限り昇進などへの道は開かない。

 

会社で考えればそうなのだが、会社以外においても同じ問題は多数ある。その典型例が、日本の少子高齢化問題であり、年金問題
人口減少は、いまから約50年前から言い始められていたし、その当時から計算され、シミュレーションされていたにもかかわらず、抜本的対策が打たれていないのはよくご存じの通り。特に年金と少子化対策は、議題には上がっても本質的抜本的対策は結局なく、その結果が2020年になろうとしている今になっても同じことを語らなければならない状況を生んでいる。ずっとこれまでのデータが残っているのに…である。

そもそもこうした対策など、「時間を味方につけて」の対応策以外にはほぼ手がなく、一朝一夕に効果が出るようなハードランディングの施策はありえない。それをすることなく先延ばしにしてきた為政者、責任者を追求しようにも、当時の責任を担うべき彼らの殆どは亡くなっている。責任を背負わずに先送りしてきたことによって、「逃げ切った」わけだ。

 

これこそがそもそもの右肩下がりの根本原因のひとつ。誰が、どの為政者がこの本質的問題の「猫に鈴をつける」のかで押し付け合っている状況。わかっていたのに、めんどくさくて、責任を取りたくなくて、結果、未来の国民にツケを先延ばししてきた大きな問題だ。

 

希望を見せてくれる為政者は、責任者は、事業家は、日本ではやっぱり出ないのかな。 見かけ、見てくれではなく、実力を評価しての投票は、やはり夢物語なのか。