幸福

年金2000万円問題が明らかになって以後、実際はそれ以前と環境が何も変わっていないにもかかわらず、どうやってお金を貯めようか、などという話題が出ることが多い。いや、あの情報が出る以前も、今も、そして多分何十年も前の昔から、(年金だけで老後がパラダイス…になるような状況が保証されているわけではないという)基本的状況は変わっていないはずなのだが。

 

さらに言えば、今後「老後に向け、2000万円たまらなかった人は不幸になり、それ以上貯まれば幸福になる」わけでもない。当たり前の話だ。現状でさえ、そんなに預金を抱えている高齢者世帯ばかりではないが、それなりにやっている人だっている。逆に言えば、2000万円以上の預金を持っていたとしても、不幸だと思っている世帯もいくらでもあるのだろう。

幸福はそれぞれに感じることであり、誰かによって、お金のあるなしだけによって決まるのではないことは明らかだ。

 

今までと同じならいいのか、いや、同じでは悪いのか?周りと同じならいいのか?いや同じなら悪いのか?「誰かに自分の幸福を決めてほしい」とゆだねていたりはしないのか?

 

テレビやメディアで「ほかの国のこんな現状」などという情報を見て、ああはなりたくない、とか、自分たちは良かった…と言っていていいのか?自分たちの幸福や幸せを、自分たちで考えないのか?あなたの幸福は「誰かに対する相対的位置」に存在するものなんだろうか?

ずっと周りを見続けて一生を終えるとするなら、これを「茹でガエル」と言わずして何をそう呼ぶのか。

あなたは
「周りの中でそこそこのあなた」になりたいのですか?
「自分が考えるあなた」になりたいのですか?