第一義

タピオカドリンクの流行も、そろそろ息切れが聞こえる時期に入ってきたようだけれど、あれがここまで爆発的に人気になった要因の一つには、利益率が高いとか、おいしいといった事に加えて、最近の時代らしい「映える」というところが大きな要因の一つであるのは間違いないだろう。

 

タピオカに限らず、少し以前にはやったパンケーキショップなども、おいしいに加えて、いかにそのメニュー自体が「映える」見栄えになっているのか、写真写りを気にしたメニュー作りが行われているのは間違いないだろう。

 

ただ、パンケーキやに限らず、喫茶店やレストラン、料理屋などの本分は、おいしい食べ物や快適な場所を提供することのはず。さらに場所によっては、よりおなか一杯になっていただきたい一心で、利益を度外視して特盛の料理を地域の学生さんに提供する店もあったりする。

 

…だが、この「特盛」が、写真映えする事もあって、来客数が増え、皆がそれを頼み、そして、その「特盛」を写真に収めて、あとは半分以上残して店を出る…などという実態が増えつつあるようだ。そう、店側の考えと、客側の考えとが、かみ合っていない世界が生まれつつあるという事。

写真を撮る方からすれば、「お金は払っているんだ」というだろうことは想像に難くない。が、店側からすれば、自分たちの思いが届いてほしい相手に商品が届かなくなる確率が上がってきた、という事でもある。

茶店やレストランの本分がもし、「見栄えのいい料理を出す事」が、第一義であるのなら、それはそれでもかまわない。だが、そうでないお店なら、その店の思いをきちんとくみ取れるお客にならない限り、その店のそのメニューは、早晩なくなってしまっても仕方がないのではないだろうか。そして、そういうことに加担している人は、それでも良いのだろうか?いまのじぶんだけがいい、金は払っているからいい…ばかりが力技でブルドーザーのごとくまかり通る社会は、結果的にどんな世界に導かれるのだろう?

 

カメラがこれだけ万人に普及し、携帯できるような形になったからこその社会で生まれた問題。もっと未来には、もっと未来の問題が出てくるのだろう。